高槻・鵜殿ヨシ原から西国街道を巡る道【大阪府】
新日本歩く道紀行 1000の道 に認定されたコースです。
淀川の鵜殿のヨシ原は、紀貫之の「土佐日記」にも登場する良質なヨシ群生地。西国街道は古くから山陽道といい大宰府へ向かう防人や関白らが行き交った“歴史の道”です。道筋の所々に当時の面影と自然が残っています。
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JR高槻駅
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カトリック高槻教会
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戦国末期の高槻城主・高山右近が、バテレン追放令によりたどり着いた地、マニラ。その郊外、アンテイポロにある聖母大聖堂を模して創建された。青いドームの記念聖堂に向かい、祈りを捧げる高山右近の大理石像がある。
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野見神社
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宇多天皇の頃に、当地で流行した疫病を防ぐため、「牛頭天王(須佐之男命)を祀れば悪病が治まる」というご神託により創建。江戸期までは「牛頭天王社」と称した。明治期に野見宿禰命を合祀して、「野見神社」と改称している。
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高槻市立しろあと歴史館
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高槻城三の丸跡の一画に建つ高槻市立しろあと歴史館。江戸時代の高槻を、資料や映像、模型などで楽しく紹介するとともに、市内に眠る文化財の収集や保存、調査研究も行っている。
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冠須賀神社
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旧野中村の鎮守で「かすが神社」とも呼ばれる。須賀町という町名の由来になったともいわれ、14世紀中頃に冠庄の開発と在地武士の定住に伴い春日社を勧請し、冠須賀とした。境内にある「かんな児童遊園」では、近所の子供たちの遊ぶ姿が見られる。
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春日神社(東天川)
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天児屋根命を祭神とする。12世紀頃、藤原摂関家が安満庄を領有していたことから、在地領民等が藤原氏の氏神春日社を勧請したとみられる。江戸時代には、近郷から壇尻(だんじり)が繰り出し盛大な祭礼が行われたという。
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円正寺
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宝栄山と号して浄土真宗本願寺派に属し、寺伝によれば、大永5年(1525)内本四郎兵衛が本願寺法主實如に帰依して創建したという。当初はここより北の井尻にあったが、度重なる淀川の氾濫をさけるため、明治26年(1893)当地に移転したという。
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源覚寺
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寂光山と号して日蓮宗に属し、釈迦牟尼仏と四菩薩を本尊とする。寺伝によれば、寛保元年(1741年)遠光院日通が創建したとされる。当時は現在地より川沿いにあったが、明治時代の淀川堤防改修工事で当地に移転したという。
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鵜殿のヨシ原
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淀川の河川敷に広がるヨシ原。面積は約75ヘクタールあり、鵜殿のヨシは雅楽の楽器、ひちりきの吹き口に最高とされている。初春には、ヨシ原の生態系保全と害草・害虫の駆除、不慮の火災防止などを目的に、野焼き「ヨシ原焼き」が行われる。
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春日神社(上牧)
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当初は一の宮と呼ばれ、春日大社の一座であったが、菅原道真が大宰府に赴く途中、当社に立ち寄った縁から、後に菅公を合祀されたといわれる。旧上牧、鵜殿、井尻各村の鎮守として信仰が厚かった。大正4年に、神奈備神社を合祀している。
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本澄寺
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足利将軍祈願所の日蓮宗法華山本澄寺は、文明3年(1471)に、領主の内大臣烏丸資任らが神南備の森を開き創建したとされる。当寺に安置されている祖師像は、「厄除けの高祖」と呼ばれ信仰を集めた。境内には、昭和期の詩人・三好達治の記念館(要予約)がある。
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阪急大山崎駅
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- 紹介URL
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- 距離
- 14.2km
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- 所要時間
- 215 分
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- 所在地
- 大阪府
(高槻市)
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- コース
カテゴリ
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ウォーキング
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- コースの
特徴
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タウンウォーク・街歩き
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- 推奨時期
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春・秋
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- 問い合わせ先名称
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関西元気ウォーキング事務局
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- 問い合わせ先電話番号
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06-6195-1095 (営業時間:10:00~17:00(土日祝日、12月28日(月)~1月4日(月)を除く))
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- 問い合わせ先URL
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